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マイケルジャクソンのムーンウォーク動画から生い立ちまで公開! |
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マイケルジャクソンの歴史 エピックでのソロ時代
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エピックでのソロ時代1978-19901978年にマイケルジャクソンはクインシージョーンズのくどきにより、コンビを組むことになった。 クインシーをプロデューサーに迎え「オフ・ザ・ウォール」を製作した。7月には先行シングルとして発表された「今夜はドント・ストップ」は、マイケルジャクソン自身が作詞作曲を初めて手がけた曲である。タキシードを着たマイケルが3人に分裂する映像は話題を呼び、全米チャートを制覇した。しかし、この時の時代背景を述べておくと黒人のPVが放送される時代ではなくマイケルジャクソンも例外ではなかった。 8月に発売された「オフ・ザ・ウォール」で少年ボーカリストからというイメージを刷新し、新たな印象を世界に与えたソウルミュージックがベーズの作品であり、ポップ色の強い後の作品とは異なった曲調である。 10月には「Rock With You」を発表した。この曲はマイケルジャクソンが一人で多重に録音した。ビルボードでは4週連続1位を獲得している。 さらにマイケルジャクソンは「Off The Wall」「あの娘が消えた」と同一アルバムから4作連続で全米チャートトップ10に入るという、当時ソロアーティストとしては誰もなしえなかった快挙を成し遂げた。しかし、その記録は数年後破られることになる。そう、マイケルジャクソン自身の「スリラー」によって 1981年にはマイケルジャクソンは次回作のために、「オフ・ザ・ウォール」の曲「ガール・フレンド」を書いてもらったポール・マッカートニーにコラボレーションを打診した。これが実を結び、ポールとマイケルジャクソンは正式にコンビを組む事になり2曲のデュエットを後に生む事になる。 1982年6月にはクインシーのプロデュースにより、スティーヴン・スピルバーグ監督の「E.T.」のストーリーブックのナレーション入りアルバムの制作に参加した。 1983年には、クインシーとマイケルジャクソンで完全にロサンゼルスのウエストレイク・スタジオにこもりっきりで新作のための時間が作られた。クインシーによれば、マイケルジャクソンはかなりのシャイでソファーごしで歌っていたそうだ。そうして出来上がったアルバム「スリラー 」であり、全米チャートで37週にわたり1位を記録した。「ビリージーン」「ビート イット」「スリラー 」とミュージック・ビデオの概念を変える作品を次々に発表し、「スリラー 」はアルバムの売り上げの世界記録を更新した。 1983年発表の「ビリージーン」はマイケルジャクソン作詞作曲の曲で、ゴシップに苦しんでいる自分を表したものだといわれている。結果論でいえば、この曲はまさにマイケルジャクソンの人生そのものを表しているように見える。 前述した「黒人の映像は放映すべきではない」というMTVの暗黙のルールをマイケルジャクソンのこのプロモーションビデオが壊したのである。1983年5月には、モータウン25周年コンサート( Motown 25: Yesterday, Today, Forever)においてこの曲の間奏でムーンウォークを初めて披露した。なお、この際、モータウンのコンサートに出演する代わりに「ビリージーン」を歌うことをマイケルジャクソン側は条件に出したとされる。人気も非常に高く、この曲は2004年VH1の人気投票でイマジンを抑え史上最高の曲に選ばれた。また、イギリスの音楽雑誌Qにおいても2006年7月に80年代の最優秀シングルに選ばれている。 2月に「黒人音楽のかべを越えて、ジャンルの壁を壊す」というコンセプトでエディ・ヴァン・ヘイレンを起用した力強い曲である「ビート イット」をい発売。実はマイケルジャクソンのこの曲が、現在のスタンダードを作り出した。それはリードボーカルの後ろで多くのバックダンサーが踊るというシーンである。現在では当たり前のようになっているが、実はマイケルジャクソンが作り出したものである。このショートフィルムではマイケルジャクソン自身の希望で「ロサンゼルスのストリートのチンピラ」を本当に起用した。マイケルジャクソンだけでなくMTVの人気も上げた。 そして。12月には、プロモーションビデオの最高傑作と称される「スリラー 」がMTVで初公開され、約14分におよぶ超大作はマイケルジャクソンが狼男に変身したり、ゾンビとダンスなど、特殊効果をふんだんにしようされ、話題になった。この「スリラー 」は1999年のMTVの「もっとも偉大なプロモーションビデオ」の1位に輝いている。 またこの年の年末にマイケルジャクソンはペプシと大型スポンサー契約を結び、翌年4月にマイケルジャクソン本人出演のペプシのCMが、MTVによって初公開された。(実はマイケルジャクソンはお酒やコーラを一滴も飲めず、収録時もマイケルジャクソンは飲まずに収録を終えた。) 1985年には、マイケルジャクソンはエチオピア難民救済チャリティーを目的としたUSA for Africaに参加し、その際「We are the world」をライオネル・リッチーと共作した。しかし、その姿勢は評価されたがアメリカ人しか集まらなかったため、賛否両論の結果となった。しかし、楽曲自体はメロディ、歌詞共に人気を呼び、多くの賞を受賞した。 同年8月にはビートルズの版権251曲を管理する音楽出版社ATVを約4750万ドルで購入した。ビートルズのメンバーではポール・マッカートニーと2曲のデュエット(「The Girl Is Mine(1982)」、「Say,Say,Say(1983)」)を発表するなど親交が深めたが、ビートルズの版権をポールが売買をマイケルジャクソンに申し出た際にマイケルジャクソンは断ったため親交は薄れた。しかし、マイケルジャクソンはビートルズに対して特別な思い入れをもち、ジョンレノンの息子ショーンと1988年の「ムーンウォーカー」での競演や、「カム・トゥゲザー」をカバーなどをしたりしている。ビートルズの版権は20年後の2005年にも購入した版権の半数を未だ所有しているのである。 1986年5月にマイケルジャクソンはペプシとの契約を更新し、ペプシはソロ・ワールドツアーの宣伝などマイケルジャクソンのツアーの運営のスポンサーにもなった。 8月は、クインシーとマイケルジャクソンは共にウエストレイク・スタジオのスタジオD室に借り、新作アルバムの製作に取り掛かった。完成したアルバム「バッド」は翌年8月に発表され、「I Just Can't Stop Loving You」から「Dirty Diana」まで、史上初の同一アルバム5曲連続全米チャート1位という前人未到の偉業を成し遂げた。現在までにこの偉業を達成したのはマイケルジャクソン1人だけである。 1988年1月にはマイケルジャクソン初の自伝である「ムーンウォーク」が出版された。4月のニューヨークタイムズ・ベストセラー・リストでは初登場1位を獲得した。 1月発売のシングル「Man In The Mirror」ではポリティカルな題材を歌い、社会的な問題にも直視しているマイケルの今後の作風につながる作品となった。1988年4月にはマイケルジャクソンはソビエト連邦のCMに出演した事で話題となった。 また、この頃マイケルはビートルズの版権の大量購入など、ロックに意欲があることが伺える。マイケルジャクソンはハードロック調の楽曲「ダーティー・ダイアナ」を書き、4月にシングルとして発売になった。この曲はダイアナ妃のお気に入りの曲でもあり、1988年7月のウェンブリー・スタジアムでダイアナ妃の前でライブを行おうとした際は、ダイアナ妃がマイケルジャクソン本人に歌って欲しいと頼んだ事もある。ダイアナ妃が彼のファンであるように、彼自身もまたダイアナ妃のファンであると言われている。 7月発売のシングル「Another Part Of Me」は1位記録とトップ10記録を同時に途切れさせてはしまった。 1987年9月からマイケルジャクソンは世界ツアーを行い、日本に於いても「M.M.旋風」がブームになった。なお、もう1つのMはマドンナである。 1989年、マイケルジャクソンがBREアワードでポップ・ロック・ソウルと三部門も制したため、エリザベス・テイラーがマイケルを評して「the true king of pop, rock and soul」と称し、これが2年ほどで一気に広まった。 |
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